「普通」って、なに?

カウンセリングをしていると、「普通」という言葉によく遭遇します。
クライアントさんが「自分は普通とは違う」とか「普通になりたかった」と自分について表現したり、「うちの子は普通にできない」とか「あの人は普通じゃない」と自分以外の人のことを説明したり。そのたびに私は「今おっしゃった“普通”について、もう少し教えていただけませんか?」と尋ねるのですが、「確かに、普通って何でしょうね。誰の視点で捉えるかによって、普通の中身って変わりますよね」とおっしゃる方もいれば、「いやいや、普通と言ったら普通でしょう。わからないんですか?」とお怒りモードになる方もいらっしゃいます。
“普通”が生む見えない圧力

「普通」という言葉は、よく使われる日常語です。その一方で、場面によっては気づかないうちに誰かを傷つけたり、沈黙させたり、排除したりすることも。「普通はこうでしょ」「普通そんなことしない」―当たり前の基準を示しているように見えるこれらの言葉は、実際には“誰かの価値観”を“唯一の正しさ”として相手に押しつけてしまったり、自分自身を縛ったりしてしまいます。
私たちが生きている現実は、揺らぎに満ちています。人の感じ方は様々だし、得意・不得意も違います。健康状態も、家庭環境も、人生のリズムも。個人の価値観だけでなく、社会が共有する“正義”さえ、文化や時代によって全く異なります。
多様で複雑な社会を生きるヒント

私たちが生きている現実は、揺らぎに満ちています。人の感じ方は様々だし、得意・不得意も違います。健康状態も、家庭環境も、人生のリズムも。個人の価値観だけでなく、社会が共有する“正義”さえ、文化や時代によって全く異なります。
このように、世界は“普通”という単一の基準では捉えきれない多様さ・複雑さでできています。だからこそ、大切なのは、自分とは異なる存在に出会ったとき、簡単に判断を下さずに“踏みとどまる力”ではないでしょうか。
「自分と違う感性があるかもしれない」「相手の背景は、自分には見えていないのかもしれない」という視点。「自分が“普通”だと思ってきたものは、誰にとっての“普通”だったのだろう」「“普通”という言葉を使わずに説明すると、どうなるだろう」という自問。そして、拙速に善悪の判断を下そうとしない心構え。
これらを意識することで、私たちは“普通”という枠を超え、他者の存在を、そして自分自身を尊重できるようになるのではないかと思います。
- 「普通」という言葉に頼らず、目の前の相手を、自分自身を、そのまま見ること。
- 「普通」という言葉が出てきた時は、それが指す中身を問うこと。
言うは易し、行うは難しですが、多様で複雑な社会を生きるヒントになれば幸いです。

日常生活で家族など近しい人から「普通は○○でしょ」と言われると、私は「そうなの?知らなかった」と答えます(話の通じないヤツだと思われているかもしれません)。自分が話すときも、「普通は」とは言わず、代わりに「多くの人(場合)は」など別の表現を用いるようにしています。
『問いのデザイン』や『冒険する組織のつくりかた』の著者である安斎勇樹さんは、「自分の問いや発言を少し変えるだけで、半径3メートル以内の空気は変わる」と言います。確かに、「あの人の周りは穏やかな空気が流れているな」と感じさせる人は、トゲのない、こちらがスッと受け止められる言葉を使っているように思います。
言葉選びは難しさもありますが、それゆえ挑戦のしがいもありますね。
